歴史と世界の中の日本人
42回 杉山龍丸
「緑の父」と呼ばれた日本人

(YFWP『NEW YOUTH』202号[2017年4月号]より)

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  インドの人々から「緑の父(グリーンファーザー)」と呼ばれた男がいる。

 乾いた大地を緑にし、インドの人々を飢餓から救った日本人、杉山龍丸(1919~1987)である。

 龍丸は16歳の時に敬愛する祖父と父を亡くしている。父・杉山泰道は夢野久作の名前で知られる小説家。祖父・杉山茂丸は伊藤博文の懐刀といわれた人物である。

 茂丸はいずれ農業が必要になると考え、東京ドーム3.2個分に当たる46千坪の農園(杉山農園、福岡市)を購入した。

 「アジアの人々を救いなさい」。祖父は龍丸にこう言い残し、父は「農園をアジアのために使え」と言い残した。祖父と父の言葉が龍丸の人生を導いた。

 杉山農園はインドのガンジーの弟子たちを研修生として受け入れ、農業の指導を行っていた。これが後に龍丸とインドをつないだ。

 42歳の時、龍丸はインドの要人の招きを受け、初めてインドを訪ねた。
 機上から見える茶褐色の荒涼とした大地、インドの広大な砂漠に龍丸は衝撃を受けた。

 飢饉(ききん)で命を失うインドの人々。「インドの人々を救いたい」。龍丸は心の声で叫んだ。

 龍丸は砂漠であっても地下水が流れていることに気が付く。暑さに強いユーカリの植林を提案した。植林はバンジャーブ州を走る国道1号線に沿って進められた。

 最初はインドの人々は関心を示さなかったが、龍丸の背中が彼らを導いた。

 やがて巨木は水を吸い上げ、周辺に稲作やイモの栽培を可能にした。
 今日、バンジャーブ州はインド一の穀倉地帯となっている。

 ヒマラヤの土砂崩落が砂漠化を促進していた。

 龍丸は全長3000kmを超えるシュワリックレンジ(丘陵)への植林に着手する。
 無謀ともいえる挑戦であった。

 龍丸はこう言った。「何も問題はない。不可能と思わなければ全て可能だ」。

 龍丸は自らの広大な所有地を売り、140億円の資産をインドの植林に投じた。
 人々を飢餓から救うために砂漠化の元凶と戦った。しかし志半ばで龍丸は脳溢血で倒れる。

 インドの人々は緑となった大地と共に龍丸のことを忘れることはなかった。龍丸の不屈の遺志は彼らに引き継がれた。

 インドの人々は今も、ガンジーを「独立の父」と呼び、龍丸を「緑の父」と呼ぶ。

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 次回(5月20日)は、「国民を子女のごとく、人類を兄弟のごとく愛した日本人」(最終回)をお届けします。