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心のあり方 20
忍耐強く根気よく聞く

 もう一度皆さまにぜひ読んでいただきたい、編集部イチオシ!なコンテンツをご紹介。
 「文鮮明先生の自叙伝に学ぶ~心のあり方」を毎週木曜日配信(予定)でお届けします。

 なお、この記事に記載されている「自叙伝『平和を愛する世界人として』」のページ数は創芸社出版のものです。

浅川 勇男・著

(光言社・刊『文鮮明先生の自叙伝に学ぶ~心のあり方』より)

第五章 心を尽くして人の話を聞いてあげる

忍耐強く根気よく聞く

 第三は、「忍耐強く根気よく聞く」ことです。文鮮明先生は話をすれば、何十時間と話し続ける方です。それだけ見ると、話をする方と思われがちですが、真心を込めて人の話を聞く方でもあるのです。

 「時の経(た)つのも忘れて聞くようになります。十時間、二十時間と拒まずに聞きます。話そうとする人の心は緊迫していて、自分を救ってくれる太い綱を探し求めるのです。そうであるならば、私たちは真心を込めて聞かなければなりません。それがその人の生命を愛する道であるし、私が負った生命の負債を返す道でもあります」(自叙伝150151ページ)

 愛することとは、忍耐強く人の話を聞くことなのです。しかし、人の話は必ずしも聞きたい内容ばかりとは限りません。むしろ、嫌な耳ざわりの悪い話もあります。思わず、相手の話を遮り、言葉を挟みたくなります。時間も気になります。有益でない話を聞くには時間がもったいないからです。人の話を「時を忘れて聞く」ことは至難の業なのです。それを忍耐して聞き続けるには愛がなければできません。でも、そのように話を聞いてくれた人には、愛を感じるのです。確かな回答を得られなくても心が満足する場合もあるのです。心を尽くして聞いてあげることは、愛することなのです。

 ところで、夫婦関係も言葉のやり取りで成り立っています。それゆえ、一言が決定的な影響をもたらす場合があります。

 ある夫がいました。会社でミスを犯して上司から「あんたはばかだ」と怒鳴られました。それどころか、同僚や部下からもばかにされました。すっかり落ち込んだ夫は夕方、家に帰ってきました。妻だけが自分を受け止めてくれると期待しました。それで、夕食時、妻に上司や同僚の悪口を言い続けたのです。妻は静かに聞いていましたが、あまりにも愚痴が多くて止まらないので、耐えられなくなり、思わず叫んでしまったそうです。

 「ばかね、あんた」。

 その後、この夫婦がどうなったか? 想像にお任せします。

 ある妻がいました。家事や子供のこと、さらに近所づきあいで、心身共に疲れ果てていました。いらいらしてどうしようもありません。誰かにこの思いをぶつけなければなりません。その対象が夕方、帰ってきました。夫です。

 夕食時、妻は愚痴を夫に言い続けました。夫は静かに聴いていましたが、話が止まらないので、ついに、忍耐できなくなり、こう言ったそうです。

 「要するに何が言いてんだ」。

 逆上した妻の話は、さらに長くなり、支離滅裂になってしまったそうです。

 人の心は大海のように深く広く、そして複雑です。悲しみ、怒り、喜び、楽しみ、など無数の思いが潜んでいます。時には荒れ狂い、時には穏やかになります。その心が言葉となってほとばしるのです。言葉は心の表現です。しかし、心の世界はあまりにも複雑で、言葉で表現しきれません。人は言葉を通して、心の理解を求めているのです。

 そんなとき、「心を尽くして人の話を聞いてあげる」と、心を感じ取ってあげられるのです。言葉を通して心を感じ取ってあげることが愛することなのです。

 仏教では、人の悲しみ、苦しみの声に耳を傾け、聞くだけではなく、心を感じ取る境地を得た人を菩薩(ぼさつ)といいます。観世音菩薩、略して観音様といわれます。

 「世音」とは、世の人々の悲しい声のことです。「観」る、とは、悲しみの心を感じ取ることです。観音様は心を尽くして人の話を聞くので耳が長くて大きいのです。人々の悲しみの姿を「観る」ことのできる慈愛の人なのです。

 夫婦が互いに観音様になれたら幸福です。毎日参拝して、お賽銭(さいせん)をあげたくなります。

 あなたは、夫に対して、妻に対して、家族に対して、「観音様」になっていますか?

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 次回は、「夫婦円満は幸福のツボ」をお届けします。


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