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新・熱き祈祷のすすめ 10

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「新・熱き祈祷のすすめ」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 祈りの必要性や祈りの種類、実践方法をまとめた祈祷の手引書です。

松本 雄司・著

(光言社・刊『新・熱き祈祷のすすめ』より)

第三章 祈りの種類

1 “密室の祈り”と祈祷会

 マタイによる福音書6章6節に、「あなたは祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい」とあります。
 これが“密室の祈り”です。
 1人で天の父に真心をもってお祈りすることは、祈りの基本であり、大切なことです。早朝1人で祈ったり、条件を立てて祈ったり、寝る前に祈ったりする祈りです。

 今、この地球上に生きている人類は六十数億といわれています。
 しかし、神と私の関係、神と一人一人の関係は、たとえ数字的には一対六十数億であったとしても、心情的関係においては、神と人間1人とは絶対の関係なのです。また神もそのように願ってお造りになり、私たちも親に対してそのように願うわけです。

 ちょうどそれは、ある家庭に子供が5人いたとすると、親の一人一人の子供に対する愛情は5分の1でないのと同じです。1人の子供に対する親の愛情は絶対的であるし、その子供も親から絶対的愛を受けたいと願うのは当たり前のことです。

 神は私たちの永遠の親です。神は、目には見えないけれども間違いなく存在しておられる心情の親であり、「父よ」、「天のお父様」と求めていく親子の関係にあるのです。そのような我と汝(なんじ)、汝と我という絶対的な関係を、神と私との間において確認していくという意味において、この密室の祈りは、私たちにとって絶やすことのできない宝物であり、貴重な親と子の会見の場となります。

 また、もう一つの祈りの場は、祈祷会です。2人以上が一緒に祈ると祈祷会になります。もちろん別々のことを祈る場合もありますが、祈祷会の本来の主旨は、ある一つのことを心を合わせて祈るということです。これには、1人で祈る場合とは全く違った意義と価値があります。私たちが神に祈る時に、2人、10人、100人と、より多くの人が集まって神の前に一つのことを願い求める場合には、それだけ神の心をより大きく動かすことができるといえるのです。

 ある家庭に子供が5人いました。最初は1人、1番上の子供が、「お父さん、あのテレビは映りが良くないから、もっと良く見える新しいテレビを買ってよ」と言ってきました。その時は、「お金の都合がついたらね」と適当に答えておきます。
 翌日、今度は2番目の娘までやって来て、「お父さん、買ってよ。隣もみんなあるんだから」と言います。その時も、「分かったよ、そのうちにね」と何とか逃げることができるわけですが、やがて5人全員がやって来ました。みんなそろって、「お父さん、お願いだから何とかしてよ」と切実に食い下がられると、親としてもう無視はできません。多少無理をしてでも「分かった、お前たちの願いをかなえてあげよう」と、心を動かすのは当たり前のことです。

 これと同じように、子である私たちが1人で祈る場合と、10人が同じ事柄に対して心を合わせて祈る場合、あるいは1万人が祈る場合、1億人が祈る場合とは、それだけ神の心をとらえる度合いが違ってきます。これはごく自然なことです。心を合わせて祈ることが、私たちが神に対して願い事をしていく場合、非常に重要なことなのです。

 また、1人で祈る能力がまだ養われていないために、長時間祈ることができない場合、祈祷の友と一緒に祈ることによって励まされ、より力強く祈り続けることができるということも見逃すことはできません。この密室の祈りと祈祷会は、それぞれ意味があり、どちらも大切です。

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 次回は、「成文祈祷と自由祈祷」をお届けします。


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