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日本統一運動史 29
日本に真の御父母様を迎える準備時代⑬
澤浦秀夫氏、入教

 『日本統一運動史~文鮮明先生御夫妻と日本の統一教会および統一運動の歩み』を再配信します。
 創立40周年の際に発刊されたこの書籍は、日本における文鮮明・韓鶴子総裁ご夫妻の貴重な歴史的足跡と、多岐にわたる統一運動の歴史をまとめた一冊です。
 今、改めて読んでおきたい、日本の統一運動の歴史を振り返る連載です。

歴史編纂委員会・編著

(光言社・刊『日本統一運動史~文鮮明先生御夫妻と日本の統一教会および統一運動の歩み』より)

第三章 日本に真の御父母様を迎える準備時代

三、草創期を築いた人々の歩み

(2)草創期初期の伝道と入教者の証し

13. 澤浦秀夫氏、入教(1961.4)

◇澤浦秀夫氏の手記
 「毎12月17日の誕生日は私の苦闘の出発日でした。およそ人間は苦より楽を望む者です。どうにもならぬ人生の歯車の一員として生まれた唯一の逃れ道は大学卒業したら、苦よりの解放があると信じて望みを抱いていたことです。ようやく…一会社への採用が決まり非原理的な喜びにひたっていた時、こんな平凡な私に一大変革がまさに勃発したのであります。小室兄に導かれ初めて大久保の統和社を、『迷える子羊を救いたまえ』と門を叩いたのが12月25日の日でした。その時の師は痩せた体にジャンバーを着て、『よういらっしゃいました』と柔和な笑いを浮かべ、秘めたあふるるばかりの情熱をもって、しかも淡々と静かに、世はどうなるかと語りかけてくれたのです。

 その烽火(ほうか)は私の心に消えることなく、ほのかに燃え続け、いつともなく思い出し、第二回目訪れたのが、高田馬場の二階家でした。一週間の内、すべてを知らされ驚嘆の鼓動が我が小さき心に寄せては来る波のごとく来たりし死より生命の息吹きをかきたてて下さったのです。帰郷の車中での思いを秘めて肉の家にたどり着き、原理の一声をあげました。肉親は、『気狂えり』とばかり、悲しみのうちに数日を過ごし、会社出勤を勧めたのです。

 ほのかな成約の烽火(ほうか)がまさに消えかけんとした時、神は第三回目の最後の救いの御手を差し伸べ給いました。絶えず襲いかかる、なぜに神は私のごとき弱き異邦人を選んだのかとのジレンマに陥っていた私は、成約聖徒の断食の様子を見、腰を抜かし、私は神に対して何を成し得るかの自己矛盾を見抜くために、一食でも抜けばどうかなってしまいそうな自分が、4月2日の聖日礼拝を機に4日間の断食を始め出したのであります。そして終了の日に自分もできるとの思いが我が心を満たし、入教し、今日に至っております。」(『成約新聞』第28号、1963.1.1付より)

▲澤浦秀夫氏(1961.7)

 「入教初期、御言を語れず、屑屋ばかりしていた。下北沢の教会で原理講義をしていると、西川先生が飛んで来て『ザワ! 堕落論を笑って講義する奴がいるか!』。当時の私は、今もそうであるが、アダム・エバなんて面倒くさいから、太郎さん花子さんと説明していたのである。『ザワ! お前の講義は例題を抜いたら何も残らないぞ!』。このくせは今も治らない。法を具体的事例に当てはめての5年間の染み抜いた勉強が災いしているのだろう。…それから沖縄に開拓に行った時、真夏50日間原理講義をし続けた。み言を離れたら死である。私から『努力』の二字を取ったら何も残らないばか者である。こんな私が数年後、復興会の講師を務め始めた。統一教会はすばらしいですね。なんと救いの範囲の広いことか!」(『成約の鐘』1973年8月号より)

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 次回(4月23日)は、「日本に真の御父母様を迎える準備時代⑭」をお届けします。


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