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愛と人生の道しるべ 4

 春到来! 新しい出発のシーズンとなりました。特に学生や社会人として新たな出発をする皆さんへのおすすめコンテンツとして「愛と人生の道しるべ」を毎週木曜日配信(予定)でお届けします。

酒井 正樹・著

(光言社・刊『若者に贈る~愛と人生の道しるべ』より)

第1章 愛に似て愛と異なるもの

愛に似て愛とは異なるもの
 それにしても、愛という言葉がずいぶん多く使われています。愛という言葉が氾濫しているということは、それだけ今は愛のない時代であるとも言えるでしょう。
 本当に愛している人には、「愛している」という言葉を語れなくなります。それは多くの人が経験していることです。
 「アイラブユー」という洋画のセリフが広まり、これを「愛している」と直訳して、「愛」という言葉を語るようになってきました。今はテレビで、雑誌で、愛の言葉が溢(あふ) れています。でも、愛とは何でしょうか。

 戦前は、結婚相手は親が探し出すものであり、見合い結婚がほとんどでした。恋愛はごく一部の特別な場合だけでした。
 江戸時代には、男女間の問題は「恋」とか「色」と言っていました。「愛」という言葉は使いませんでした。

 キリスト教を日本に伝えた外国人宣教師は、聖書の中に書かれている「愛」を「タイセツニスルコト」というように翻訳しました。
 「愛」という言葉には、本来は「大切にすること」「いたわり」「思いやり」という意味合いが含まれており、「仁」や「慈悲」に通じるものです。ですから愛の中には、人類愛、兄弟愛、親の子に対する愛、師弟愛、夫婦愛と、実に多くの要素が含まれているのです。

 いずれにしても、「愛」は相手の幸福、成長、発展を願います。そのため、時として、愛する者のために喜んで犠牲になることさえあります。
 これらのことを愛の定義とすると、愛と、愛に似て愛と異なるものとをはっきりと区別することができます。

 自分が果たせなかった夢を子供に託そうとする親、相手の中に理想の恋人像を投影し、現実の相手を見ようとしない恋人たち、女性の精神的、肉体的事情を理解しようとせず、自分の性欲を満たすことしか考えない男性。好きという感情の中におぼれ、それに陶酔することを望む恋人たち、性の衝動を相手への愛とすり替える男性……。
 自分が寂しいから恋人が欲しい、自分を愛してくれる人が欲しい、自分が幸せになりたいから相手が欲しいのであり、いずれの場合も、相手は自分の願望や欲望を満たすための手段であり、自分が満足することしか考えていません。

 真実の愛は、相手の幸せを願い、そのために無条件に尽くすものであり、見返りを求めません。「愛している」と言いながら、実は最も愛と異なっているという現実を、直視しなければなりません。

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 次回(4月15日)は、「愛は信頼と安らぎと平和を感じさせる」をお届けします。


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