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映画で学ぶ統一原理 18

(この記事は、『世界家庭』2019年11月号に掲載されたものです)

ナビゲーター:渡邊一喜

『ダークナイト』
2008年。152分。
81回アカデミー賞、助演男優賞、音響編集賞受賞

サタンを連想させる、徹底的な倫理観の破壊のみを目的とする悪役ジョーカー

前編 第2章 堕落論

 現在の映画シーンを支えるジャンルの一つとして、アメコミ(アメリカンコミックス)ものがある。そして現在のアメコミ映画の草分け的存在がクリストファー・ノーラン監督の「バットマン」3部作だ。

 特に2作目に当たる『ダークナイト』は当時の全米歴代興行収入で2位を記録し、その内容は映画界だけでなく米国全土に大きな論争を呼ぶほどのインパクトを残した。

 今回は『ダークナイト』から堕落論を学ぼう。

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 舞台は架空の都市であるゴッサムシティー。大企業の経営者ブルース・ウェイン(クリスチャン・ベール)は、「バットマン」として町を守る裏の顔を持っている。

 あるとき、ジョーカーと名乗る男が、テレビを通じバットマンの正体を明かすことを要求してきた。正体を明かすまでは殺人を続けると脅迫し、実際に指名された政府や警察の要人たちが次々に殺害され、町は恐怖にたたき落とされた。

 バットマンはジョーカーを捕らえるため躍起になるが、煙に巻かれ破壊行為は繰り返されていく。脈絡のないジョーカーの破壊行為に、策を講じることができないバットマン。彼が翻弄されている間に、ジョーカーの生み出す悪は膨れ上がっていくのだった。

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 まず、この映画の中で否応なしに引きつけられるのは、悪役ジョーカーの存在感である。彼には超人的な力もないし、特殊な能力もない。道化の化粧の下はただの人間だ。

 では彼の目的は何だろうか。それは、徹底的な倫理観の破壊なのである。だからこそ、正義と倫理の象徴としてのバットマンに執着している。それは憎しみを通り越し、愛着とも取れる執拗さである。

 このジョーカーの姿は堕落後にサタンとなった、天使長ルーシェルを連想させる。サタンに理想はない。ただ神の目的を妨害することだけが、サタンの目的なのである。

 ジョーカーはバットマンや市民に選択を迫る。人を殺すか自分が死ぬか、恋人を助けるか正義の公人を助けるか。ジョーカーは、自身の選択で倫理観を捨てるように仕向け、愛や正義の無力さを笑うのである。これは正にサタンの人間に対する働き方そのものである。

 私たちの信仰は、神のみを見詰めていても進むことができない。私たちを悪に引く、サタンの存在を明確に知り、克服する力を身につけなければならない。『ダークナイト』は、そんなサタンの存在と働きを知る、良い材料になるに違いない。

(『世界家庭』2019年11月号より)

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