信仰と「哲学」70
関係性の哲学~スピノザの哲学に対する見解(4)

響き合う東洋と西洋

神保 房雄

 「信仰と『哲学』」は、神保房雄という一人の男性が信仰を通じて「悩みの哲学」から「希望の哲学」へとたどる、人生の道のりを証しするお話です。同連載は、隔週、月曜日配信予定です。

 スピノザは、西洋で最初に無神論を唱えた大思想家として紹介されることがあります。そればかりか、唯物論者と言われることもありました。しかし彼は唯物論者ではないし、その反対の単なる唯心論者でもないのです。あえて言うならその両方なのです。

 人間が認識できる神の二つの根本的属性は「思惟(しい)」と「延長」なので、この世界は精神と物質からなっていると言えますが、この二つが不可分の関係にあるとスピノザは主張しました。

 第一原因である神は自己原因であり、それ故に唯一、不変、絶対、無限であるという一元論的世界観です。神と被造世界がはっきり区別されるという意味での二元論的世界観ではありません。

 神と被造世界、両者を区別せずに同一視するという意味でもありません。無限に多くのものを生み出す自己原因としての神と、生み出された現実世界の全てを内包する神、すなわち物質と精神としての神が一つなのです。
 唯心論と唯物論を超えているのです。

 スピノザの哲学はまた、東洋哲学と西洋哲学の間に入って共鳴させる力を持っていると言えます。東洋哲学の代表とも言えるインド哲学においては、スピノザの提示した神概念はなじみ深いものと言えるでしょう。言い換えれば、インド哲学はスピノザを理解することに役立つとも言えるのです。

 スピノザは、西洋の伝統的形而上学における二元論から抜け出し、神と世界は一つの同じ実在(実体)であるという一元論を主張したのですが、これはインド思想における最大の哲学的潮流、「不二一元論」に極めてよく似ています。

▲シャンカラ(ウィキペディアより)

 不二一元論は、8世紀の偉大な哲学者シャンカラ(700年頃~750年頃)が発展させ、体系化させたものです。
 紀元前8世紀にさかのぼる古代インドの哲学的な文献群である『古ウパニシャッド』に基づいて打ち立てられました。

 シャンカラは、原因を必要とせず存立するところのブラフマン(梵)と、アートマン(我)は同一であると主張しました。宇宙の根本原理である至高の存在「ブラフマン」と、個々人の意識の奥底にある魂で「個の根源」とも言われる「アートマン」を、同一のものと見なしたのです。

 「梵我一如(ぼんがいちにょ)の境地」、小宇宙である各個人が宇宙全体の一部であることを自覚し、真我に目覚めた状態に到達することを目標とし、「生者解脱者」となり、「(全てのものと)一つであるという純粋意識の完全なる至福(サッチダーナンダ)」を体験すべきとしたのです。

 もたらされる解放感は、知的であると同時に直観的な悟りの結実であり、この上ない幸福と無限の喜びをもたらすと主張しましたが、これは、スピノザが『エチカ』の最終部で言おうとしていることと一致しているとみることができるのです。