2021.03.04 17:00
歴史と世界の中の日本人
第32回 南方熊楠
欧米の学者たちを刺激した植物学の巨星
もう一度皆さまにぜひ読んでいただきたい、編集部イチオシ!なコンテンツをご紹介。
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南方熊楠(みなかた・くまぐす/1867~1941)は植物学者、菌類学者である。菌類学者としては粘菌の研究で世界的に知られる。
熊楠は英国の科学雑誌『ネイチャー』に50もの寄稿を発表した。
日本人最高記録保持者である。
18の言語を解し、卓越した記憶力と研究分野の幅広さから「歩く百科事典」と呼ばれる一方、言動や性格が奇抜で、明治時代には全国的な奇人番付にも名を連ねたほど。
熊楠は19歳の時に私費で渡米留学し、農学校を転々としながら、地衣類学者ウィリアム・カルキンスに師事し、標本作製を学んだ。
その後、キューバに渡り、欧米の研究者が足を踏み入れない未開の地で命懸けのフィールドワークを行い、24歳の時に石灰岩生地衣類「ギアレクタ・クバーナ」を発見。
日本人としてはもちろん、アジア人としても初めてで、無名の若者による新種の発見は大変なニュースとなり、欧米の学会で話題となった。
熊楠は1892年に英国に渡る。ウォラストン・フランクスとの出会いをきっかけに大英博物館に出入りするようになり、考古学、人類学、宗教学などの蔵書を読みふける。
1897年にはロンドンに亡命中の孫文と知り合い、親交を深めている。
1900年に14年ぶりに帰国し、その後、故郷の和歌山県紀伊山地で粘菌の採取活動を行った。
1921年には、熊楠が発見した粘菌新属が大英博物館の粘菌学者グリエルマ・リスターによって「ミナカテルラ・ロンギフィラ」(長い糸の南方の粘菌の意)と命名されている。
1906年、神社合祀令が公布され、全国の鎮守の森が潰され、2000以上の神社が消えていった。
熊楠は反対意見を地元の新聞に投稿し自然環境を守る重要性を訴え、和歌山県知事にも直訴している。
熊楠は「エコロジー」を唱え、多くの人々の心を動かした。
結果、神社合祀令は1918年に廃止となった。
熊楠は日本で最初のエコロジスト、自然保護運動家であった。
彼は自然が切られていく痛みをその霊性において感じていたのである。
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次回(3月11日)は、「ヘレン・ケラーの『人生の目標』となった日本人」をお届けします。