(『祝福家庭』70号)
【第1祝福】「個性完成」

 いつでもどこでも、訓読生活!
 このシリーズでは季刊誌『祝福家庭』に掲載されている三大祝福完成に関するみ言を紹介します。

【第1祝福】
「原理的生活」に関するみ言(2)

 皆さんは、まず神様に侍らなければなりません。
 それでは、神様の愛を受けようとすれば、どのようにしなければならないでしょうか。神様が私たち人間に完全な愛をもってこられるので、私たちも完全な内容を投入しなければなりません。「至誠感天(至誠、天に通ず)」という格言が韓国にあるのですが、それは本当に天理に通じた言葉です。

 「精誠をすべて捧げる」とは、それは、内外のすべてのものを尽くすことです。言行と心事(心に思う事柄)とすべての実践、良心生活圏までも、内外すべてのものを合わせて捧げることです。それが精誠です。「精」は精神のことを言い、「誠」は言偏に成すという字です。

 ですから、内外のすべてを成し遂げて捧げるという意味です。そのようになってこそ天に通じます。天が感動するのです。
 天が感動することによって、どのようになるのでしょうか。天がその人を思い、思うだけでなく、思いが常にとどまるようになれば、そこには愛が訪ねてくるのです。すべての思いがそこにとどまるようになるときには、愛がそこに連結されるようになるのです。思いがある所に、人の心が動くのです。

 ですから、精誠を尽くす立場に立ってこそ、神様の愛を受けることができるのです。神様が私たち人間を愛するように、皆さんが神様のために精誠ですべてのものを捧げれば、そこで初めて神様の愛を感じ、神様を愛することができるのです。

 今から、神様の愛を受けなければなりません。神様の愛を受ける道とは、原理的な生活をする道です。
 神様の愛は、アダムとエバから始まります。彼らが完全に一つになれば、神様と一つになることができる主体・対象関係になるので、第二の主体になるのです。

 それによって、実体をもった神様の愛の器官になるのです。その器官を中心として、昔イエス様を信じた以上に、精誠を尽くした以上に至誠を尽くし、孝と誠の道理を果たせば、自動的に神様の愛の圏内に入っていくことができるのです。

 これからは侍る生活をしなければなりません。夫婦の間でもそうです。夫婦が今まで暮らしてきた姿を見れば、言葉では「お父様が共にある」と言うのですが、実際にはお父様が共にいない家庭が多いのです。自分の主張は自分の主張のままであり、主体・対象関係においては、心情的に一つになれず、天の前に連結したものが何もありません。

 昔と変わったことが何もないのです。それは、そのような原則的な愛を実践できなかったからです。神様に侍る生活において、合格した立場に立つことができなかったためにそうだというのです。

 今後、そのような面で特別に皆さんが努力しなければなりません。
 天地の道理とは何でしょうか。夫婦二人が一つになっていく道、すなわち愛の道をいうのです。ですから、愛があればすべてが幸福になりますが、愛がなくなればすべてが不幸になるのです。愛があればすべてが和動しますが、愛がなければ荒れ果てて荒野になるのです。問題はそこにあるのです。
(『文鮮明先生御言選集』第40巻275頁、1971・2・7)