2021.02.19 12:00
日本統一運動史 21
日本に真の御父母様を迎える準備時代⑤
草創期初期の伝道と入教者の証し
『日本統一運動史~文鮮明先生御夫妻と日本の統一教会および統一運動の歩み』を再配信します。
創立40周年の際に発刊されたこの書籍は、日本における文鮮明・韓鶴子総裁ご夫妻の貴重な歴史的足跡と、多岐にわたる統一運動の歴史をまとめた一冊です。
今、改めて読んでおきたい、日本の統一運動の歴史を振り返る連載です。
歴史編纂委員会・編著
第三章 日本に真の御父母様を迎える準備時代
三、草創期を築いた人々の歩み
(2)草創期初期の伝道と入教者の証し
1. 増田勝氏、入教(1959.12)
◇増田勝氏の手記
「孔子の教えの中に『不惑』という文字が出る。即ち40歳の別称だが、40歳に成り、初めて自分の進路を定めるのである。勿論『不惑』の意味は多くの例証を挙げて説明すべき言葉であるが、しかし人間が40になって初めて道の正しさを知るのはなんとも情けない限りだ。西洋に生まれたリンカーンが『40過ぎの顔は親より譲り受けた顔でなく、自分の顔だ』と言った。私たちは40歳にして顔を整えるのでなく、自分が神より与えられたと同時にサタンの血を混ぜた顔を一日も早く改め、また定められた進路に向かうことにより新しい発展の路に入り変えることだ。人間の向かう航路は神への道だ。羅針盤は神の真理、すなわち御言である。…『進路の伝達』、これは私たちの最大の目的、最後の目的、また天の目的でもある。…世の者すべてに進路の決定を宣布して立つ、これ天の進路である」(『成約新聞』第4号1962.1.1付より)
2.『日本キリスト教婦人矯風会館』
人が集い始めて雄鶏舎の二階では狭くなり、大久保にある『日本キリスト教婦人矯風会館』の二階の一室を借りて、日曜の午後2時から5時まで集会が持たれました。
3.『統和社』に移転(1960.4)
1960年4月ごろ、教会は雄鶏舎の二階から中央線大久保駅の近く(当時、新宿区百人町3丁目)に移転しました。崔奉春宣教師は、事務所(「統和社」)を借りて印刷業を営みながら伝道をしました。
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次回(2月26日)は、「日本に真の御父母様を迎える準備時代⑥」をお届けします。