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2014年04月27日

『原理講論』語句解説(20)モーセとイエスを中心とする復帰摂理(2)

『原理講論』には難しい言葉が使われている箇所が多くあります。そのため、意味がつかめなかったり、文脈からしてこうではないかと推測するものの、違った意味に捉えてしまうようなこともあります。そこで、難しい言葉に解説を加えてみました。

[ ]の中は、『原理講論』のページ数と、行数を示しています。一つの言葉に、二つ以上の意味がある場合、『原理講論』で使われている意味のほうに☆印をつけました。反対語は⇔で、参照は→で示してあります。

[368-15]壮丁(そうてい)

1 成年に達した男子。一人前の働き盛りの男子。

2 労役・軍役にあたる成年の男子。☆

[369-14]シンの荒野(こうや) エリムとシナイの間の荒野。イスラエル民族がエジプトを出て、このシンの荒野にいる間、40年間、マナが毎夜露と共に降った。マナは小さく丸い薄片のようなもので、パンの代用とされ、蜂蜜入りのせんべいのような味だったと言われる(31

節)。

[370-3]レピデム 荒野におけるイスラエルびとの宿営地の一つで、シンの荒野とシナイの荒野との間にあった。人々は水に困ってモーセに向かい、つぶやいた。モーセは長老たちを伴い、神の命令によってホレブに行き、岩を打つと、そこから水が出た(出エジプト記17:5、

6)。水は川を流れてイスラエルの宿営地に至り、彼らがシナイ山に滞在する間も供給された。レピデムはアマレクとの戦いの舞台であった。

[370-3]ホレブ山(さん) モーセが神から律法を与えられた山で、神の山シナイと同地。

1 出エジプト記では、モーセが召命を受けた場所、「神の山」と呼ばれる(出3:1)。出エジプト後、荒野の旅の途中で、水がなく困った時、神が「ホレブの岩の上で」モーセの前に立ち、その岩をモーセが打って水を出した(出エジプト記17:6)。シナイ山の記事の中に一箇所だけ出てくる(出エジプト記33:6)。

2 申命記では、モーセが火の中から神の声を聞き、契約を結び、十戒と律法を受けた神の山である(申命記1:2、6、19、4:10、15、5:2、9:8、18:16、28:69)。明らかにシナイ山の別名である。

3 その他は、十戒の石板を受けた所(列王紀上8:9、歴代志下5:10)、小牛像を作った所(詩篇106:19)、モーセが掟と定めを

受けた所(マラキ書3:22)である。

4 預言者エリヤが迫害を逃れて、神の声を聞いた「神の山」である(列王紀上19:8)。

[370-7]契約の箱(けいやくのはこ)→[279-13]

[370-11]アマレク→[162-13]

[370-12]ホル モーセの協力者。アマレクとの戦いの間中、アロンと共にモーセの手を支えて、勝利をもたらした(出エジプト記17:12)。また、アロンと協力して、モーセがシナイ山に登っている間、モーセに代わって民を監督した(出エジプト記24:14)。ヨセフスによれば、彼はモーセの姉ミリアムの夫であろうとしている。

[374-1]ケルビム ケルビムは天的存在であって、一般に手足をもつ有翼の像として表現される。エデンの園にある命の木を守るために置かれた(創世記3:24)。幕屋の至聖所にある契約の箱の「贖いの座」の両端に互いに向かい合うように純金製のケルビムが置かれたが、これは契約の箱を安置した聖所を守るものと考えられた(出エジプト記25:18〜22、ヘブル人への手紙9:5)。

[382-13]カデシ・バルネア パレスチナの南端、チンの荒野(民数記13:26)にあったカデシ、およびヨシュア記15:23のケデシと同一地。モーセに率いられてエジプトを脱出したイスラエルびとが、最も長く滞在した荒野の町。イスラエルびとの領土の最南端にある。

[389-3]一期(いちご)

1 人が生まれてから死ぬまでの間。一生。一生涯。☆

2 死に際したとき。

3 一生に一度しかないような、の意を表す。

[394-7]斥候(せっこう) 敵軍の動静や地形をひそかに探ること。また、

そのために派遣する兵士。

[397-4]過越の祭(すぎこしのまつり) 過越の祭はユダヤ人の三大祭りの

一つで、春分に当たり、エジプト脱出を記念して守った。元来は種

入れぬパンの祭りは農耕祭儀、過越の祭は牧畜的祭儀であったが、

二つが併合され、歴史的意義が加えられ、従来の習慣が純化されて

深い内容をもつに至ったものである。すなわち過越の祭は民族の誕

生を意味する重大な記念日で、神の救いの恵みのしるしであった。

[397-4]ギルガル エリコ平原にあった町で、ヨシュアの軍事基地とされた

(ヨシュア記4:19、20、5:10、9:6)。サムエル、サウルの

時代、宗教上、軍事上の中心地であった(サムエル記上10:8、11:

14〜)。ネヘミヤ記12:28のベテギルガルと同一地。

[398-6]破竹の勢い(はちくのいきおい) 勢いが激しくてとどめることが

できないこと。

[398-6]ベテホロンの戦(たたか)い ヨシュアの北部パレスチナの攻略戦

で、カナンびとの連合軍を破った戦い(ヨシュア記10:5、7)。

ベテホロンはユダのギベオンの北西8キロメートルにある町。

[398-6]メロムの激戦(げきせん) ヨシュアの北部パレスチナの攻略戦で、

カナンびとの連合軍を破った戦い(ヨシュア記11:1〜14)。メロ

ムはガリラヤ湖の北西15キロメートル、今のメイローンと同定され

る。

[400-2]悠久(ゆうきゅう)→[31-15]

[405-4]バアル シリアおよびカナンの有名な肥沃神。雷と雨を地上にもた

らす豊穣の神であり、この神を礼拝することで、無条件的に豊作と

生活の安定が約束されるとする。

[405-5]アシラ カナン宗教の肥沃祭儀における礼拝の対象としての女神。

アシタロテと共に古代オリエント全域で信奉されていた。それらの

配偶者は一般的にバアルであった。

[425-7]讒訴(ざんそ)人を陥れるために、事実を曲げてあしざまに言いつ

けること。

[426-5]至聖所(しせいじょ) 幕屋の奥の正方形(神の完全性を象徴する)

の部分で、神の臨在の象徴である契約の箱が安置され、年一回贖罪

祭の日の行事執行のため大祭司が入ることを許された。

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